認知症訴訟の最高裁判決を読んで反省したこと

女神テミスの像と聞いて,イメージできますか。ギリシャ風の彫刻で,片手に天秤,右手に剣を持っている女神の像といえば,分かるでしょうか。天秤は,正義か悪かを判断する道具であり,裁判を意味するのでしょう。剣は,まさに権力そのもので,強制執行や刑の執行などを意味します。
 
女神テミスの像は,もう一つ,特徴があります。それは,多くが目隠しをしていることです。目隠しは,女神が天秤を用いて善悪を図る際,目の前の人を見ないこと,公正に裁判することの象徴です。ですから,この像は,最高裁判所などの司法関係者により,好んで設置されます。
 しかし私は,この目隠しして裁判することに違和感があります。それは,目隠しをして,本当に真実を見ることができるのか,という疑問です。
 
先日,最高裁判所で,認知症の夫が起こした鉄道事故につき,その妻も子供も,損害賠償責任を負わないとの判断が出ました。大きなニュースとして取り上げられたので,詳細は省きますが,驚くべきは,地裁は妻と子供に,高裁は妻に,その損害賠償責任があるとの判断をしたことです。この下級審裁判所の判断は,老老介護問題に対する意識が低いとして,世間から大きく批判されたところでした。
 この事件で問題になったのは,「責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は,その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。」とした民法714条の解釈でした。そして,夫婦には同居扶助義務があって(民法752条),法曹であれば,認知症の夫が起こした鉄道事故につき,妻は損害賠償をしなければならないとの解釈をしたくなります。
 
しかし,本件では,被告とされた妻も80歳を超える高齢で,要介護認定も受けていて,とても夫を介護できるような状態ではありませんでした。下級審裁判所は,判決文を書くにあたり,法を公正に適用しようと意識し過ぎたために,これらの現実を“目隠し”して見ようとしなかったのではないでしょうか。
 
私が思うに,裁判所で適用される法律は,単に国会で成立したものに過ぎず,それだけでは,正義にも悪にもなりません。法律は,裁判所が判決を書くための基準に過ぎず,それ以上でもそれ以下でもありません。ですから,事実に法律を公正に適用した結果は,正義にも悪にもなります。

 もっとも,幸いなことに,法律はいかようにも解釈できます。法律を適用した結果,悪になるのであれば,その解釈は“間違っています”。そこで,法律の解釈を工夫して,正義の結論を導く,それが法曹のあるべき姿なのではないでしょうか。

 裁判所だけでなく,弁護士も,法律相談を受けたとき,「正義は何か。」ではなく,「判決はどうなるか。」を考えがちです。もちろん,判決の見込を正確に予測することは重要です。依頼人から情を訴えられると,この予測を誤ることがあるので,あえて“目隠し”して,法律の解釈をすることはよくあります。
 
しかし,“目隠し”をしてしまうと現実を見なくなり,正義が見えなくなり,判決の予測はできても,正義を実現できません。
 
法曹関係者の皆さん,そろそろ“目隠し”を,外してみませんか。

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